おひさしぶりです。
お元気で生きていらっしゃいましたか?

私は6週間、赤ちゃんのお世話で嬉しく振り回されておりました。
そうしながら「信じる」ことを考えていました。
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長い時間、裏切られていると、特定の人を「信じる」のは大変むつかしいですね。
アドラー心理学では「信じない」のは、信じませんと決めているから
といかにも「スパット」「明解に」言い切っています。

たしかにそうです。そうでしょう。
だから、そういう経験をしながら、それでも別れないで一緒に生きていこうとしているのは「とっても苦しい」です。

相手から「すまなかった」「ごめん」「これから一緒に生きていきたい(だから別れないでください)」
とでも言ってくれているならまだしも。
心の中で、自分だけ反省されても
こっちには「全然 通じません」

そんな時、思うんです。思ってしまうんです
一度バレて痛い目に合っているから、次回こそはバレない様にしているのではないかと・・・

だから、女の勘とでもいうのかな?
怪しい!!と思ったら「探る」
探っても、それにこたえるめぼしい「収穫物」=証拠・情報が得られないと
これほど探っても何もないとは!!
「なんて、卑怯なんだ」「なんとずる賢いのだ」と思い込んでしまって

真偽はわからないのに「はい!黒色確定!とこちらを信じるわけです」
それ、けっこう繰り返しますよね

その気持ち
わかります。
わかります。わかりますとも

不倫終了して(新たなのは知りません・していないとして)3年を迎えます。
信じられないところを「信じよう」としてムリムリ生活してきましたからとても苦しかった

だから喧嘩すると、そこに戻ってしまう
夫は「何回も・なんかいも うるさいわ!」と
「そんなこと言ったって、ショウガないじゃないの」のエンドレス

近頃やっと、出来るだけ信じるには
夫の「事実」を見るしかないと思っているところです
事実とは、日ごろの態度です。

不倫をしようとすれば、二人で過ごす(ドライヴ・食事・ホテル)時間はどうしてもかかります
どれか1つの場合もあるし、フルコースこなしている場合もあります。
短くても2時間、長ければ半日 それ以上の見えない時間

それやってるか?
やってるかどうかより、そんな時間使ってるか?考えてみる必要はありますね

信じるかどうかは「私しだい」だけど、なんにもなかったかのようにはなかなか気持ちがいきません。
長い時間と楽しい共有経験を積むしかないだろうとも思いますし
「疑惑の目で夫を見る時期」があっても、致し方ないんじゃないかなと思っています。

今日はここまで
貴女が幸せに近づくため 持てる力で応援します