NHK番組に「プロフェッショナル 仕事の流儀」なる番組があります。
ご存じですか?
番組案内で、内容を知ったので録画しておきました。
昨日の朝から、今朝まで4回見ました。(何度見てもいいです)

番組の内容は「荒れるこどもたち」にどう寄り添っていくかという流れです。
でも、これが、大人の「不良」問題にも同じような流れがあるように思いました

テレビでは、子供たちは学童期まで「必死に親の愛を求め・親をかばい・親が悪いのは自分のせい」と語り
そのことに親から気づいてもらえなかったとき
子供たちは逃げだしたり・逃げ出した先で同じ境遇の者同士傷をなめ合う
一見優しいように見える居場所(実は抜け出せないカラクリつき)を求め、次第に社会からフェイドアウトしていく

暴走行為も薬物の使用も、非行少年を取り巻く逃げ場には、根底に「受け入れてもらえなっかった愛への強い渇望」があると言っている。
あれ?
それって、大人でもおなじじゃんと思った。

自制が効くはずの大人(実はそんなに効かない)
しかも過去に犯罪には「関与もせず」まっとうに・まっとう以上に働いてきた大人が「陥ってしまった場所」「陥った過程」とそっくりだ。

なにか「さみしい」のだ
最も認めてほしいところで、認められていない
なのに、家庭に吹いている自分への風はなぜこんなにも「あったかくなく。また包み込んでくれないんだろう」

男性でも女性でも同じことだ
これを「ちょっとしたよそ見」とか「魔が差した」とかいう言葉におきかえることは適切ではない。

居心地のいいところに行きたくなるのは、こどもばかりではなく、大人でも同じだ。
だから夫は不倫を選んだのだろう

私は夫を尊敬していた
仕事もし社会的活動(世直し的な)をボランティアを毎夜遅くまでこなし、おまけに日曜祭日も家族との生活よりそちらからの要請をこなしていた
自分の生活と比べると、たいそうなことをしているように思え、そうやっている夫の姿は、私の分もやってくれている的な感じがしていた

仕事を終え、子供たちとの生活をこなして私ができないことをしている夫に「あなた がんばって」と応援していたくらいだった。

子供たちには「お父さんはすごく頑張っているんだよ」と言い聞かせてきたから、お父さんの嫌いなこどもに育たなかったが、
私は自分が出来ないことをしている夫と想像していたから、へりくだっていたところがあったと思う。(反発は、いっぱいしてたけどね)

お化粧もせず、手入れという手入れをしないでいる私より、(目的を持って)飲み屋に来ている女性たちは
それなりに着飾り、自分を日頃より良く見せようとしている。
あいづちも快い時に適度に入れる。

そんな女性たちに大盤振る舞いする夫が「モテナイ」わけなかった。
夫の外にいる時間の目的は次第に家庭から飲み屋に移行するのは「簡単」で「居心地のよい」「自分をほめたたえてくれる」場所になっていったのだと思う。

夫が「今夜は会議がある」と言えば、それは家庭にいませんからという「免罪符」になった
それも長い間「忙しい」「忙しい」と、言い通すことでいつの間にか、それが真実になり知らぬが仏の私だった

ああ・ちょっと脱線しちゃった
で、次第に夫はそっちの路線を走り始めていた。
夜の世界はお金があれば何でもできる。買春と不倫を繰り返していった。
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夫が生活の不満があるからと「不倫」に走っても、それは夫が自分で選んだ道
私が責任を取ることではない
夫自身が責任を取ればよいだけのことだが、バレてしまった後の始末は
情けないほど自分の「おしりが拭けない」

「黙ってしまう」それが彼自身を守るすべだったから、いつも総括できないまま来てしまった

そんな情けないところのある夫だが
その中のすべてが悪いとは言い切れないところもあるなと番組をみてかんじた

私は夫の妻であるけれど、この人を堀井学級のごとく洋子学級で、生活することを決めた
ともに歩いていくにはお互いの良さを認め合うしかない

弱さをつついたって何にも出やしない。ろくでもないものが出てくるだけ
それこそ、大事にすることこそ、生涯の親友として歩いていけるような気がしています。

でも私も甘えたい
こうやって、私のことを考えてくれたら・・・。
夫がそうであってくれればどんなにうれしいか。

愛の種まき
いつ芽が出るかわからないけど、撒き続けるしかしょんないね

今日はここまで
貴女が幸せに近づくため 持てる力で応援します