どうも💗マダムです。

ラジオの人生相談は「わが家じゃないどこかのご夫婦の話なんだわ・・・」と思って、聞いている時は
深刻な内容でも、他人事として聞いてしまいますよね。
ところが相談者として心の底から相談しているのに、
「あなたは依存してますね」と他人から、バッサリ切られるように言われたら、目が・(テン)になってしまいませんか?

 

「依存」と言われたって・・・じゃ、どうすれば依存から脱却できるわけ?」そう考えちゃいますよね。

 

日常に転がっていることば「いぞん
ところが、いったいどういうもんなの?と想像すると
あまり、いいイメージをもっていない。・・・よく知らないのに・・・。
そして「いつも誰かに頼って」「だから半人前で」「すがりつく人」というイメージも少しはあるんじゃないでしょうか、そう思うのは私だけかな。

今日は、依存について考えてみます(とりあえず、第1回目)
結論からいいますと
「依存は悪者でも、能力のあるなし」から 起ってきてるわけではありません。と私は考えています。
自分で考えがまとまらず、行き末もわからない状態のとき、誰かに尋ね、相手からそう言われてしまった。

 

依存してる・していないにかぎらず、悩んだ時「落ち込む」「どうしていいかわからなくなる」のは「あたりまえ」の感情です。
そんなときに「あなたは依存してるのよ」などの言葉を使って「なぐさめる」「寄り添う」のはいかがなものでしょう。
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こどもの成長は、依存と自立の成長を見れますよね

なにもできなかったところから、見様見まね・やってもらっての繰り返しがあって、
こどもは「自分で~~」というようになり、
やがて、大人が「そうじゃない! こうしなさい!」なんて厳しくいうと反発します。

 

気持ちは「私の人生なんだから(ほっといて!!)」と思っているのでしょうが
わが身のことは、まだまだ(精神的にも・経済的にも)できていません
こういうのを繰り返しながら、依存関係から自立へのらせん階段を登っていく

 

こどもの成長も・いえ大人ですら
繰り返し・繰り返し、行動しながら脱皮をしていきます。
どうすればいいのかを知ることになるのです。

 

皮肉っぽく誰かから「大人なんだから わかるでしょう?」と、言われるかも知れませんが「成長途上にいる大人」は、ゴマンといます。

 

「自分を認めてほしい」の承認欲求もOK
「まだまだ 甘えたいの」のもOK
みんな、死ぬその時まで、人に認めてほしいし・必要と思われたいし・「決してダメとは言われたくない」

 

できない自分・できていない自分も、みんなOKと思えるようになれば、かなり楽になります。
立派な自分でなくていいの。

 

誰でも愛されたいのだし
依存してもいいの。
依存は毛嫌いするのものじゃないのよ

 

今日は ここまで。
またね。
いつか、是非お会いしましょう。